
私は書店の平積みの文庫や新書はあまり買わない方ですが、それはその手の本を買ってこれまであまり良い思いをしたことがないからです。
何事にも流行りというものがあって、それに沿った路線でたくさんの本が出されるのは結構なことだと思います。かく言う私も、たまにそうした本のなかに自分の好きなテーマの本を見つけるとつい買ってしまうのですが、最近の経験から言えば、読み終わると結局それがただの雑食本だと分かって、どこにもぶつけようのないやり切れない思いに苛まれることが続いています。
そういう本のことは、実際に読んでもこのブログには書かないようにしているのですが、今回は特別なこと、極めて個人的な感想とお許し下さい。
掲題の本は、自家焙煎珈琲で有名な三人について書かれた本です。書かれてある内容は、単なる珈琲好きの聞きかじりという域は超えていています。しかし、それは断片的なエピソードや調べ物の継ぎ接ぎという印象が強く、一貫したテーマが伝わってきません。
たかが珈琲、されど珈琲。そこに取り憑かれた三人の姿を通して、「本物」が失われつつある現代に警鐘を鳴らそうという意図は分かります。しかし、読み終わって感じることは、「(珈琲にまつわることに関連して)あっちこっち引っ張り回されたなぁ」という印象だけです。
それは本書をめくってすぐ、章立てを見ても分かります。プロローグとエピローグに挟まれて全部で9つの章がありますが、各章ごとのタイトルはなく、章内の小見出しだけを見ても、話があちこち行ったり来たり、全く統一感がありません。良い本というのは、目次と小見出しだけを見ただけで内容がある程度把握出来るものだと思っていますが、それは無いものねだりというものでしょうか・・・。
硬い話はこれくらいでやめましょう。
折角ですから、珈琲のことについて少し。これは著者の言葉ではなく、登場人物のうちのお一人の言葉として書かれてあるのですが、
「酸味のモカといっても、深く煎れば酸味などはほとんど消えて苦味が強く出てくる。コーヒーというのは浅く煎れば酸味が強くなり、深く煎れば苦味がまさるという傾向があるから、酸味や苦味は焙煎の度合によって相対化されてくる。つまり酸味のコーヒーとか苦みのコーヒーと規定すること自体に意味がないってことです。」
私のような素人にとってこれはまさに至言で、今まで「モカは酸味が強い」などと分かったようなことを言っていたのがとても恥ずかしくなります。最近、あちこちで珈琲豆を買うようになって、自分の好みに合う合わないは、豆の種類よりも焙煎度合いによるところが大きいのでは?と思い始めていたので、この表現はまさに目から鱗でした。
珈琲好きなら誰もが興味を持つであろうこのタイトル。描かれている三人のうち二人は現役で、そのお店が銀座「カフェ・ド・ランブル」と南千住「カフェ・バッハ」。銀座の方は何度か伺ったことがありますが、お店の風格に圧倒されて何故かいつも緊張してしまい、珈琲の味はあまりよく覚えていません。南先住の方は未体験ですが、うちからだとそれほどアクセスは悪くありませんし、機会を見つけて是非行ってみたいと思っています。
嶋中労『コーヒーに憑かれた男たち』(中公文庫)